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救いなんてない。それでも。『車輪の下』あらすじ(ネタバレ)と感想

独独祭(ひとりドイツ文学祭り)第二弾。『車輪の下』を読みました。

著者:ヘッセ
訳者:高橋健二
新潮文庫、1951年(原著:1906年発表)


日本では、ヘッセといえばこの『車輪の下』と、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」の台詞でお馴染みの『少年の日の思い出』が有名ですね。今回の『車輪の下』は、若いうちに一度は読みたい破滅の物語です。

車輪の下 (新潮文庫)


私はメジャーで手に入りやすい(何より文字が大きい新潮文庫版で読みました。
訳者の高橋氏は、1902年生まれ。(ヘッセは1877年生まれ)ドイツ文学の翻訳・紹介に尽力された方で、ヘッセを7度訪問してもいます。最後の訳者あとがきが読み応え抜群でした。ヘッセの生涯や作品についての情報を得られます。『車輪の下』はヘッセの自伝的小説ですから、あとがきを読むと、本編読後のやるせなさが倍増すること請け負いです。




あらすじ

車輪の下』を一言で表すと「エリートが破滅する話」というのはよく知られています。

しかし、この「エリート」(ハンス・ギーベンラート)がほんの少年だということは、ご存知でしたか?そして彼の「破滅」が、あまりにも早く悲しいものだということは?

これに関しては後述しますが、まずは冒頭から結末までの流れをまとめていきます。
*結末も含めてネタバレします。ご注意ください。

①受験勉強大詰め
②試験合格
③神学校(=エリート寄宿学校)へ入学
④奔放な同級生ハイルナーと出会う
⑤抑えつけていた感性が育ち始める
⑥勉強への情熱が失われる
⑦ハイルナー放校となる
⑦孤立を深める
⑧心身を壊し、休学
⑨実家に帰り、憂鬱な休学生活を過ごす。
⑩現実に対する意識が希薄になる。遠い思い出に浸りがちになる。
⑪機械工見習いとして就職
⑫飲み会で慣れない酒を飲み泥酔、帰り道の川で溺死


主人公ハンスの正確な年齢は不明です。しかし、ヘッセの自伝的小説ということからある程度推測できます。
ヘッセ自身が14歳で神学校に入学しているので、ハンスも序盤13~14歳程度だと考えられます。
ハンスは入学から1年も経たずに休学し、間もなく溺死(ヘッセが自殺未遂時15歳なのでおそらくその程度の年齢)するので、彼がエリートだったのは一瞬で、破滅も一瞬でした。若くして潰れていくのは、どうしようもなく悲しいですね。



感想

全体ついて

淡々とした文体。皮肉まみれの文章。
全体が皮肉で覆われています。地の文からセリフまで、全てが鋭くて痛い。



受験生活、失われる感性

物語はハンスの父親の紹介(母親は既に死亡)を冒頭に、次いで入試を目前に控えたハンスの様子が描かれるところから始まります。ドイツの田舎町、シュヴァルツヴァルトで、共に学ぶ友人もなく地元の期待を一身に背負い、することと言ったら勉強、勉強、勉強…。淡々と続く生活の中、やせ細った青白い少年は、おそらく自分が追い詰められていることにも気づいていない。


…とまあ、こんな風なので、冒頭から辛いです。途中で挫折する人が多いのも当然だと思いました。
ハンスは、勉強以外にほとんど何もしていないし、それどころか、何も見たり感じたりしていないようにすら思えます。勉強するために作られたマシーンに作り変えられた少年という感じ。少年に感情の起伏がなく、淡々と日常が進んでいく様子に悲壮感を覚えます。





早すぎる破滅

エリートの破滅っていうけど、予想以上に破滅が早すぎて切なかった。そして享年15(推定)で溺死という結末。


車輪の下』というタイトルから、エリートが野心高く他人を踏みつけて登りつめていくが、やがて踏みつけられ、歯車(車輪)に押しつぶされていく…という話を想像していました。(皆さんはタイトルから内容を想像しますか?私はいつもします。難しかったのは『月と六ペンス』などです。)


でも全然違いました。主人公がほんの子どもだったなんて。早すぎる彼の破滅がどこから始まっていたのか考えていきます。


・ハイルナーとの出会い

神学校の同級生、ハイルナー(このキャラクターには私自身強く印象を受けたので、次項で彼について記述します)との出会い。
これが最も有力な線でしょうか。
ハイルナーはハンスの世界を一瞬で変えました。彼のせいでハンスは見ていなかった(見ることを許されなかった)世界の美しさを知ってしまいます。そこから彼は勉強することに意義を見出せなくなります。


しかし。
そもそもなぜ彼がこんなにハイルナーに惹かれ、影響を受けたのか?
他の生徒はハイルナーを軽蔑して無視することに成功したのに、どうしてハンスにはそれができなかったか?


いつの間にか、受験のための指導・勉強が彼の生活の全てでした。
趣味に取り組む時間。ぼうっと思索にふける時間。季節の移り変わりを感じる瞬間。それらが全て奪われ、「抑圧されていた」。というより、「殺されていた」。感性はとっくに死んで、冒頭では既にマシーンとしてのハンスが完成した後です。


ハイルナーの登場で、ハンスは、自然を繊細に観察し感じとることを喜ぶ本来の姿を取り戻します。
極端な勉強漬け生活と周囲からの毎日のプレッシャーはハンスをマシーン化することに成功したものの、自然を歓ぶ彼の本質を変えることはできませんでした。ハイルナーとの出会いで再人間化が進んだハンスは、もうマシーンに戻ることはできなくなりますが、それは彼の破滅を意味しました。


ですから彼の破滅のきっかけは、「ハイルナーとの出会い」であり「過酷な受験生活の始まり」であると考えます。



ハイルナーとの出会い、感性の復活

勉強の成果実って二番目の成績で神学校に入学したハンスは、印象的な同級生ハイルナーと友人になります。


ハイルナー!
作中最も(唯一?)生命を感じさせるキャラクターです。
彼は神学校の他の生徒たちとはまったく違っています。

試しに108ページを見てみましょう。

「ハンスは午後いっぱいハイルナーのことを考えずにはいられなかった。なんという人間だろう?ハンスの知っている心配とか願望とかいうものは、ハイルナーにはまったく存在しなかった。彼は自分の考えやことばを持ち、一段と熱のある自由な生活をしていた。(中略)彼は古い柱や壁の美しさを解していた。また自分の魂を詩の句に映し出し、空想によって非現実的な自己独特の生活を作りあげる神秘的な奇妙なわざを行っていた。そして身軽で奔放で、ハンスが一年間に言う以上のしゃれを毎日いっていた。同時に彼は憂鬱で、自分の悲しさを、他人の珍しい貴重なものででもあるように、楽しんでいるように見えた。」


この文章から、ハイルナーが神学校内で異色の存在であることがわかるでしょう。そして、ハンスがハイルナーにほとんど恋をしていることも。


前項でも書きましたが、ハンスの破滅の引き金を引くのはハイルナーであるわけですが、それでもハンスはハイルナーと出会って良かったと思います。ハイルナーと出会った後のハンスは、まるで別人ですよ。


中盤で、空を見上げたハンスがハイルナーに向かって「なんて美しい雲だろう!」と言うシーンでは、やりきれない感動を覚えました。


それくらい強烈な個性を放つハイルナーでしたが、それ故に入学後間もなく放校になります。その頃にはもう勉強することに価値を見出せなくなっていったため成績が悪化していた上、ハイルナーと付き合っていたために教師からも冷遇されていたハンスの運命も、ここで暗転します。


次いで間もなく体調を崩したハンスは、終わる見込みのない休学期間=「破滅」を迎えます。



誰もが共感できる痛み

100年前にも、受験勉強や周囲からの期待、自分の未来への期待と不安と失望、そして自己の過去への疑問と挫折、そして絶望に苦しんだ少年がいました。
誰もが共感できる痛みを、彼は一人で体現しています。『車輪の下』は、どの部分を読んでいても、自分の中のどこかが血を流すような心地がします。特に若い人にとってはその痛みが生々しいかもしれません。




結論


お勧めできません。


希望がない。微かな光すらない。

あえて挙げるなら、私の場合は、ハンスとハイルナーのモデルが同一であることを訳者あとがきで知ったことで、少しは救割れる気がしました。モデルというのはもちろんヘッセ自身なのですが、一人の人間を全く別の二人に分けて描くって、面白いですね。


それはさておき、日本ではほとんどの人が入試経験者です。多くの人が主人公に感情移入して仕方ないのではないでしょうか。実は今作、本国ドイツではさほど人気がないのですが、日本では昔から多くの人に読まれてきました。


全体が文学的すぎて、ほとんど暴力という域に達しているんです。テーマだけではなく、文章のすべてが。日々ライトな文章に囲まれて生きている身には衝撃的すぎました。もちろんそれが今作の面白さであり魅力であることは間違いないわけですが。
小説に娯楽や癒し、救いを求める方には特に勧められません。

もちろん、私のように小説を読んで心を抉られるのが大好きな方には全力でおすすめしたいです。
あとは、「『車輪の下』読んで何になるの?」と思っている方にはおすすめします。
答えはハンスとハイルナーが教えてくれますよ。