よのなかは。

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子どもが子どもをやめる瞬間。 ヘッセ『デミアン』感想

訳:実吉捷郎
岩波文庫、1959年


記事が途中で切れていたので、修正しました。


ヘッセといえば『車輪の下』と、懐かしの「少年の日の思い出」のイメージが強いですよね。


でも、『デミアン』はそれらよりも遥かに癖が強くて魅力的です。



私は翻訳の好みで岩波文庫版を選びましたが、小さい字が苦手な方には新潮文庫版をお勧めします。




内容


まず、タイトルについて。『デミアン』は主人公に強い影響を与えた友人の名前です。強烈に印象に残る人物なので、タイトルになるのも納得です。


内容は、主人公ジンクレエルの半生の記録です。ラテン語学校にかよっていた10歳の頃、近所の不良に弱みを握られ怯える日々から物語は始まります。そんな日々の中、転機が訪れます。学校に転入してきた印象的な学生・デミアンと友人になると、彼は即座に不良からジンクレエルを救うのでした。デミアンは善と悪のついて風変わりな考え方を持っており、善と悪がひっくり返るような聖書の解釈をジンクレエルに話して聞かせます。デミアンの存在は、ジンクレエルが興味を持ち始めていた暗い世界ー家族の属する正しく明るい世界とは相反する世界ーへの興味を加速させるのでした。


という風に始まります。
全体を通して、自己の内面を追求し続けるジンクレエルの少年〜青年時代を記録した物語です。自己の確立に悩む全人類にお勧めします。特に若い人!これだけとことん自己の追求し続ける人生の記録って(途中から薄々感じていたんですけど)、相当クレイジーな気がします。最高です。






感想

全体と本質を捉えた素晴らしい感想は、既に他の方がたくさんお書きのことと思います。古典名作ですし。自己の追求をテーマにしたこの作品は、今の私には総括するのはヘヴィーなようです。
せっかく「考えさせられる」作品を読んだのに、思考を吹っ飛ばした感覚的な感想ばかり浮かんでしまう自分が残念(左脳が夏休み中なのか?)ですが、その辺りは再び読む時までの成長に期待します。


とりあえず今は、自分が衝撃を受けた部分ベスト4について書くことにします。
*散文にご注意ください。



*若者の特権

デミアン』は、内容の項で書いた通り、主人公ジンクレエルが「自分はどんな存在なのか?」探り続けた過程の記録です。


その過程の中で、
自分の中にある悪(暗)の部分故に、今まで自分が信じて疑わなかった(家族も属する)善(明)の世界で息ができない辛さを味わいます。
善の世界と自分自身とのギャップは埋まらず、拠り所を転々と移しながらも自己の内面を探ってもがき続けます。
その拠り所はデミアンであったり、家庭であったり、近所の少女であったり、悪の神アプラクサスであったり、慈愛に満ちたエヴァ夫人であったりします。

それでも拠り所に道を決めてもらうことは不可能で、自分自身を柱にして生きていかなければならないから、追求の日々は鬱々として辛そうです。
途中ジンクレエル酒に溺れたりして、『車輪の下』の最後(主人公が酒を飲んで死ぬ)が脳裏をよぎって冷や汗をかいたのは私だけではないはず。
キリスト教の解釈が次第にディープな方に進んで、遂に悪の神に魅せられて仲間のところに通いつめたり…。

要するに、苦しみ続けた半生の記録です。


しかし。ここで白状します。



私は後半から「君は良いよな!ジンクレエル!」と思いながら読んでいました。



確かにジンクレエル青年は苦しんでいますが、優雅すぎませんか?

悩みがほぼ「自己の内面について」限定なんですよ!


生々しくない。

これが現実の人間だとすると、他の問題がたくさんありますから、そこまで自分の内面についてばかり深く考えてる場合ではないわけです。

大抵の人は、時々仕事とかお金とか将来の心配をしつつ生活しています。
そう、生活ですよ。
私たちは、ご飯食べて、洗い物して、洗濯して、光熱費払って、仕事して、人付き合いもして、平日があって休日があって、たまに(?)自己嫌悪に苦しんだり、笑ったり泣いたりするじゃないですか。まあ人によっていろいろでしょうけど、基本的にはこういったあまり小説的ではない事柄と付き合って生きていますよね。


でもジンクレエルに関しては、これらがほとんどない。
ほぼひたすら自分の内面と向き合っているだけ。「生活」がないんですよ、彼には。


おそらく、これが私が彼の存在や生き様、思考と行動を生々しく感じられない理由です。


「ひたすら自分の内面と向き合っている」っていうのは地獄でしょうけど、それを優雅だなって思ってしまう自分がいます。

高尚な問題に延々取り組むには、生活の土台が必要ですから!
学業とか将来とかお金とか自分の容姿のこととか、考えなくて済むのって、(地獄だけど)天国ですよね!
このギャップが気になり始めた中盤からは、前半ほど内容に入り込めなくなりました。


なぜ前半は気にならなかったのか?
リアリティ0だからこそ輝いている存在=デミアンが登場しなくなるせいで、ジンクレエルのリアリティが気になってしまったのかもしれません。
あとは、ジンクレエルの年齢が上がっていくのに、学業や将来の心配に苛まれる様子があまりないし、終盤は再会した友人の家に入り浸ったりして、年齢が近いせいもあり、つい「この人、生活はどうなっているんだ?」と気になってしまいました。

小説を読んでいてリアリティに不満を持つことなんて多分初めてです。リアルそうでリアルじゃないけど少しリアルなのが小説の魅力だと思ってはいますが…。
結局、ジンクレエルの年齢が自分と近いこともあり、変に今の自分と比較してしまったのでしょうか?そうでなければ「君は良いよな!ジンクレエル!」なんて思わない…はず…。


私もジンクレエルほど本格的ではありませんが、自分がどんな存在なのか、日々悩んでいます(笑)
ジンクレエルのように自己について突き詰めて悩むのは、若者の特権なのかもしれませんね。







*善と悪/明と暗

作中通して善と悪が大きなテーマになっています。
善の塊だった幼年期から、暗いものが自分を侵食してくる…そして戦いと葛藤と需要と超越と揺り戻しがあって…とにかく、苦しみが始まります。


ジンクレエルが明るい家庭から自ら脱落していく感じ、堪らないです。
わかっているけど止まれない、でもそれもわかっているっていう。

自分の道は自分で作らなければならないし、自分の拠り所は結局家庭にもどこにもなくて、デミアンですらなくて、自分自身に求めるしかない!っていう。

デミアン』のすごいのは、子どもが子どもを辞める瞬間を目撃できることです。
私は「あっ!」て言わされましたよ、ヘッセに。





デミアン



タイトルにもなっているこの人。私が思う『デミアン』の最大の魅力は、デミアンです。


彼をを一言で表すと「超越している」存在でしょうか。
「人」というより「存在」という方がしっくりきます。

なんといっても人間離れしているので。
登場シーンは、そこまで多くないが、作中ずっと存在感を放ち続けます。
なんといったらいいのか…そうですね、ハリーポッターでいうヴォルデモートみたいな感じです。あの人、実際の登場シーンは多くないのに、作中ずっと存在感を放ち続けていますよね。あのくらいの影響力と存在感があります。


そんなわけで、デミアンの人間離れしたところが大好きなんですが、彼のことは、ヘッセも結構気に入っているのではないかなあと想像しています。
なぜなら、ヘッセのデミアンを描写する表現はいつも特別な生き物をなんとか言葉に表そうとしているような印象を受けますし、デミアンの雰囲気を表すために言葉を惜しまないように思えるからです。デミアンに関しては、彼に興味がない人が読めばうんざりしそうな長文描写が多発するので、私としては見逃せません。


私が好きな部分を一部引用すると、



「そして特にこの顔は、一瞬のあいだ、男性的でも子どもらしくもなく、ふけてもいず、若くもなく、何か千年もたっているような、何か時間を超越しているような、われわれの生きているのとはちがった時代の極印がついているようなふうに見えた。けものか樹木か星なら、こんなふうに見えるかもしれなかった。」




「さびしく、無言で、天体のように、かれらのあいだで、独自の空気にとりまかれながら、独自の法則のもとに生きながら、歩をはこんでいる」




ところで、もしこの先『デミアン』映画化することがあったら、ぜひ見たいです。デミアン役は誰がするのか、とても興味があります。
個人的には、デミアン役は5、6年前のデインデハーンか、若い頃のビョルンアンドレセンのイメージ。もう少しソフトな雰囲気の人でも良い気がしますけど、顔の造りとしてはこういうイメージです。


それから、名前について。デミアンは苗字だって、ご存知でしたか?私はデミアン=ファーストネームだと思い込んでいました。途中でファーストネームがマックスであると知り、意外と普通!と驚いた記憶があります。私だけですかね…。





キリスト教徒であること

ジンクレエルたちが善と悪について考えるとき、やはりキリスト教の存在は大きいです。
ジンクレエルにとってデミアンがこんなに強烈な存在になったのも、彼がいきなり王道から逸脱した聖書の解釈を聞かせたせいです。
キリスト教の影響をあまり受けずに育った身としては、キリスト教内での異端や派閥などについて知識はあっても、感覚的にピンときません。
しかしドイツ人にとっては何千年も前から聖書を受け継ぎ思想や様式を受け継いできたものですから、彼らにすごく結びついてるということは理解できます。
後半では、ピストリウスという道を踏み外した元牧師志望のおじさんがジンクレエルの相談相手になり、二人で神について火(これも大事な象徴)の前で談義を繰り広げる描写があったりします。
聖書について勉強してから読んだら、この作品をもっと深く楽しめるのは間違い無いと思います。





*『草の花』

本を読んでいて「これ、あの作品に似てるな」と感じること、ありませんか?
私はしょっちゅうあります。
今回の読書中は、福永武彦『草の花』がちらつきました。何かを読んだり見たりすると、他のものが脳裏をよぎるのは楽しいです。





*『車輪の下』との類似

同じ人が書いたので当然かもしれませんが、似ています。『車輪の下』と『デミアン』。主人公の途中までの人生(勉強→寄宿学校→酒の流れ)や、現実離れした友人と出会って人生の歯車が回り始めるところ、自分の問題の解決のヒントに近所の女性像を使うあたり、自己の内面を追求して悩む青年、など。
あとは時代設定ですね。大戦の影が見え隠れするあたりが重なります。
ヘッセは当時珍しい反戦派で、そのために辛い目にもあったようです。


しかし、違うところもたくさんあります。ジンクレエルは、酒に溺れはしても、決して死にませんから!
車輪の下』を読んで救われなさにテンションが下がった場合(私のことです)は、セットで『デミアン』を読んだら読後感が違ってくると思います。



デミアン』は、数年おきに読んだら、その度に感想が違ってくる(それもかなり)ような予感がします。いつか再読したいです。